顔色を伺う部品たち

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試験的でない試みなんてないわけで、ひとまず上記のようにリンクを貼り付け、この記事についての感想文を記載する形式を採用してみます。まず、法的な解釈や社会学的な講釈を期待しないでください。感想文です。故意にも不意にも間違います。誰も見ていないブログですら女々しく予防線を張るのは、最早趣味の領域の拘りなので、ご容赦をば。

さて、ゴーンさんって特徴的な顔立ちですよね。

良くも悪くも、目立つはずです。異国の住人なのだから身体的特徴に目が行くのは仕方がない。そも、”人相”という言葉が示すように、日本人は容貌、特に顔について、かなりの拘りと固定観念を持っています。表情の歪みは性格が捻くれている証拠だとか、目つきが悪いのは悪人の証拠だとか。こうして挙げてみると、ネガティブな方面のバラエティに富んでいます。もっとも平均的で無個性な顔が美人の条件だ、とする説があるように、その身体について”普通”であることを理想としている節がある。島国の民族としてある程度共通の背景、特徴を培ってきたから尚更でしょうか。奇形という表現が差別的か否かはさておき、奇を衒う言動が肯定的に取扱われないのは、自然でないにしろ当然。画一化された集団は異分子を弾くことで密度を高めるし、機械部品の規格がバラバラでは使い勝手が悪い。多く人民は使われる側なので、機械部品のようなものさしで良し悪しを判定されざるをえず、規格外のモノは不良とみなされる。当然だが自然ではない。自然法則では、進化と多様性はセットだ。ある程度正の相関関係を示す。少なくとも、変質しないこと、画一的であることで進化を続けるなんて異例だし、きっと人類だって、そんなブレイクスルーは実現できない。

人の顔は多様ですが、より高次の段階において、それは多様性に数えられない程度の問題。アリの表情を我々が認識・区別しないのと同じ理屈。ゴーンさんの眉や鼻だって、それこそ眉毛があって鼻が一個ついていて、そこには2つの穴が空いている、と文字に起こしてしまえば、個性なんて霧消する。どっちが好ましい見方なんでしょうか。少なくとも、世界の歯車会社に勤める人々は、これからも微調整(矯正)を続けるでしょう。これは人間性を賭けた出題です。人の顔に違いを見出さなくなることは、最早人間性を失っていると言っても過言でない。

個性が大事なんじゃない。個性を活かせる環境が大事。

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