セレンディピティの招きにあひて

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也————。

人は常に時間を旅する浪人です。時空の矢は止まることなく、我々は無数の選択を繰り返し、旅先を決定しています。前を向いていても、後ろ髪を引かれても、どちらにしても停滞はできないのです。

なお、方向は前後左右上下とも限りませんよ。

次元の低い生物には認識できないですけれど。

では一体どこを目指して歩けというのか。

生命の終わりでしょうか。

違います。

ときめきを追うのです。

そこに答えがあります。

そこが答えの始まりになります。