全てが罪になる

原罪は錯覚だ、というと宗教批判的だけれど、理性は基本的に保守的思考だから、何らかの罪を背負っている設定には、得心の行く人も多いと思います。日常の些末な事象に、自らの非がなかったか検証していけば、否定できない可能性が高い、と、このように言い訳がましい結論不明の思考を巡らせる趣味が、紀元前から流行っている。

汚れつちまった悲しみは、世俗に塗れ汚れる悲しみではなくて、世に生きることが汚れに思われてしまう身を嘆くためのものです。

けしからん、って叫ぶのは簡単でも、いいじゃないか、って容認するのは難しい。

けしからん世の中です。