揚げ足にヒールを

雄弁は銀、沈黙は金ですが、銀の方が市場価値の高かった時代が存在するように、現代では沈黙がそれほど優位性を持つとは思えないのです。

会話において、よほど奇天烈な相手出ない限り、暗黙の了解としてターン制が採用されるので、先方の矛盾点や皮肉を指摘すれば、その瞬間は優位に立てる。しかし一方で、物事を争いの段階にしてしまうこのやり方には得心が行かない。果実を収穫する人間が、果実そのものより偉いのか。漫才の役割に優劣はないでしょう。

会話は漫才です。人間関係は舞台芸術です。戦争もいじめも恋愛も憎悪も、劇場型の物語であって、それを意図した沈黙は賛美に値するけれど、小手先の揚げ足取りで全体の文脈を無視した小さなウケを狙いにいくのは、自己満足であって褒められたものじゃない。勝手な三方礼で間を汚すことを才能というなら、卑怯者は天才だ。

行動とはエゴの帰結だ。自己満足は悪いことではなく、むしろ最善の選択だ。ただし人倫の中にあってはそうもいかない。歴史を紡ぐ演者として、フィナーレに賭ける情熱を見せてほしい。

と、こういうのが自己満足です。