アニマリズムで踊る

マウンティング合戦が今日もどこかで、盛り上がっています。

こうした冷戦が繰り広げられるのは野蛮でしょうか。当然です。自己保存と子孫繁栄のための、動物的な行為なのですから。

群れを形成する動物であれば、競争し、自己の優秀さを見せつけ、優位なポジションを築こうとするもの。所謂、本能のもたらす業。人間に限った話ではない。ただ、社会的動物であるヒトは多くの競争のルールに縛られるので、直接的な殴り合いや明らかな罵倒は憚られ、結果として意地悪や嫌味という程度のマウンティングが顕現する。

問題なのは、マウンティングをしない人のことだ。

本能を失ってしまったのか。

まず、意図的にマウンティングととられる行為全般を避ける人種について。これは説明がしやすい。マウンティングとは、群れにおいて居心地よい環境を形成する手段の一つに過ぎないわけで、それ以外にも方法は存在する。例えば、あからさまなマウンティングが群れの雰囲気を悪化させることを対偶的に応用し、マウンティングをしないことで、無害な自己という特徴を表現。これによって、群れに迎え入れられようとする手法です。イメージしやすいでしょう。長く付き合うなら、喧嘩腰で緊張感(≒ストレス)を与える相手より、無害で居心地よい相手を選ぶはずです。それが合理性ですから。

次に、意図せずマウンティングを避ける人種。これも一種の生存戦略。弱者の兵法。潜在的に自己の弱さを認識しているから、マウント行為を避けているのです。それが顕著な人は、マウンティングをしないヒトになります。マウンティングは成功率の高いギャンブル。リスクはつきもので、失敗すると失うものが大きい。喧嘩をふっかけて負けた人間と、喧嘩に巻き込まれて負けた人。同じ負けでも損失は大きく異なるでしょう。先手必勝のマウンティング界隈ですが、こうして期待値は一定の公平性をキープする。

以上を踏まえると、マウンティングに傾倒しやすい人種は、所謂中の下、下の上でしょうね。適者生存の世の中で、貴方はどんな生存戦略を選ぶことになるのか。

 

理性的であることは正義じゃない。

理性とは、人間が持つ本能の部分集合かも。