サスペンスは幸福を彩るか?

安全であることの愉悦。

事故現場に集まる野次馬や、恐怖映像の視聴者は、この快楽を無意識に求めて、俯瞰した立場から安全を確認している。

 

今日は、Amazonプライムについて書きます。

プライムビデオってすごいですよね。無料の作品群もかなり充実しています。

映画好きには非常にコストパフォーマンスのよいサービスで嬉しいですが、こうした見放題の動画配信サービスが普及することによる変化について、思うことがあります。

所謂”ハズレ作品”を引いてしまったとしても、ビデオレンタル等では、それでもいくらかの対価を支払って、また、これを返しに行くという手間もあります。だから、損失を少しでも補おうと、その作品を全力で視聴してみたりもするでしょう。

でも、作品一つ一つが無料で、それもネット上の操作で視聴できるなら、つまらないと判断した作品はさっさと切り捨て、有限な時間を別の作品視聴に充てるようにするはずです。一見合理的だけど、それってどうなんでしょう。

つまらないのは、面白味が理解できなから、とも置き換えられます。カットに工夫がなく、CGが雑で、登場人物が棒読みでも、面白い作品はあります。反対も然りです。ただし、割合は勿論違います。未知の面白味により得られる期待値は、コストに見合わないかもしれませんが、少なくとも、こうしたサービスは高期待値を得るためのギャンブル的視聴を阻害しますよね。

そもそも、インターネットに接続された途端、人間は独善的で選択的な思考に没頭していくものです。検索エンジンにおいて好きなことしか調べないのは当然ですが、同じことが、あらゆるネットサービスで行われていて、見放題の動画配信サービスはこの一つだと言えます。

極論ですが、都合の良いこと、心地良いことだけだけを近づけ、それ以外を遠ざける結果となるわけで、そこには、真の意味での多様性はありません。もはや哲学を超え、宗教の域です。

閉じた世界から得られる幸福は、下界に溢れている”それ”を遮断した結果、内向きに、内向きに、と選択されたもの。

まあ最大数に限りがないのと同様に、最小数にも限りがないわけなので、共に幸福の種が尽きることはないですよね、きっと。

 

どちらの人生がお好みですか?