経済学は人を殺すか
社会は我々に対し、「A:合理的であること」を求めます。しかし一方で、「B:人間的であること」が善とされる局面が多々存在するのもまた事実です。
一見相反する要求に思われますが、集合論的にはA⊂Bであり、実現可能です。
近代以降「C:理性的であること(≒A)」が人間の条件であるかのような刷り込みが強化されたせいで、上述の認識が妨げられてきましたのかな、と思います。
今日は、冬について書きます。
寒いですね。数ある死因の中でも、凍死は中の下だと思います。
フィジカル弱者一族として有名な日本の黄色人種たちが、四季という冗談みたいに過酷な環境変化に適応してきた実績については、称賛を浴びて然るべきでしょう。
四季が存在することによる経済効果は、四季が消滅した場合の経済効果を上回るんでしょうか。きっと今でも四季があるのは、その恩恵に支えられた富裕層が季節を動かしているからですね。寒々しい陰謀論ですが。
実際問題、季節の変化による愉しみは勿論あるのですが、どうにもデメリットが過多に思われます。従って、l当日のセルシウス度ー摂氏20度l*5円くらいの施しがいただけると、微笑んで冬を迎え入れられると、貧しい心が箴言します。