至るところに病

病気は気の仲間。人類の性として、カテゴライズ(細分化)は避けがたく、結果、病気の数は年々増えていきます。発見とは即ち、名前を与え、切り取る作業。

病とわかると、何故か安堵することがあります。病だけでなく、何かしらの不調に対して原因が提示されると、少し解決した気がするのです。これは気の迷いなんかではなくて、科学的な裏付けのある心理作用なのですが、究極的に、この世には病というものがあったほうがいいのか、なかったほうがよいのか。病という概念が消失しても、それは別の名前、例えば呪いとか、瘴気とか、を冠することになり、結果、祓い、浄化、みたいな対症療法が確立されるでしょう。

違いは単純。悪者を誰にするかというだけです。でもこれが非常に重要。全然憎らしさのない悪役が相手ではムードに欠けます。そうなると”気”が乗らなくなりますよね。

病に代わる最高のヒールを考えつつ、現実の肉体的ダメージを受け容れましょう。