シュレディンガーの招き猫

人生はたった一度。50代超えたら、若者が羨ましくなる。もっと攻めろ。という言葉を頂きました。たぶん事実です。けれど、結局人はポジショントークしかできないわけで、言語化できないということはつまり、理性的な理解に支障をきたしているということです。従って、50代超えた人間の含蓄ある言葉は他人事以上でなく、あくまでそこに感動した自分が何を考えるか、というレベルにとどまります。感化されて同じ想いに浸れるほど、感情は伝播しません。感情は冷酷なほど共有できない代物です。

ところで、そんな貴重な人生、やり残すことは少ない方がいい。せめて妄想の中だけでも達成感を味わおう。そんな企てにより、毎日8つのブログを更新しつつ、2本の動画をアップロードし、隔月で1本の小説を書き上げている、と嘘を吐いたとします。視聴者の中には、真に受ける人もいるでしょう。それはつまり、ある人の中では、筆者は人生を謳歌(たくさんの創造的な活動をしている)している人物だと認識されうるわけであり、そうでない筆者と共存する瞬間が生まれる。ただの嘘でも、主観的には真実に限りなく近い状態。その錯誤が、実際の筆者の効用すら変えてしまう可能性がある。自尊心を騙すことができれば、その時点で効果がある。人生はたった一度で残り時間はわずか、という感覚も、錯覚に変えることができるのだろうか。