幸せの伝播

幸福って言葉を濫用すると胡散臭くなるのはなぜでしょうか。

それはさておき、他人の幸を見て不幸になる人は少ないのではないかと思います。そこには、幸せな人で囲まれた環境に身を置くことが幸せに繋がるのでは、という確度の弱い期待と、幸せな人は、きっと他者にストレスを与えないような気配りをする余裕を備えているだろう、という打算が隠れています。

事実はわかりかねますが、傍から見て不幸な人と、幸福な人は、それぞれ身を寄せ合っているように見えます。惹かれ合うのではなく、オールオアナッシングに近い感染作用で、互いを侵食し合い、どちらかの性質に染め上げてしまっている可能性があります。

 

上記を踏まえ、どちらの側に寄り添うことが貴方の効用を高めるでしょう。

これは一見単純な社会的問いですが、しかし大きな落とし穴もあります。

幸と不幸は、究極的な主観的概念ということです。貴方が見ている幸福な人々は、第三者から見たら不幸のどん底なのかも。

 

ところで、幸せな人は、自らが幸せか否か、確認したがるものなのでしょうか。