オゴラナイココロ

やらない善よりやる偽善。

結果至上主義に根差したパワフルな理論ですよね。

抑々、善悪とは独りよがりの主観的な概念です。混同されやすいのですが、議論の余地を前提とする”正義”とは異なる次元の問題なのです。人の数だけ善悪の可能性があるわけで、ともかく行動してみせれば、それを評価する人はきっと現れます。人の感情は有限な事物の再分配ではなく質量保存の法則は成立しませんから、多くの場合、善かった、悪かった、と結果に性質が付与されます。それが総合的に善に傾くか否かは、まさに”結果”論。

 

今日は、お昼ご飯について書きます。

上席が奢ってくれない、という悲劇は、きっとこの世界で何十年、もしかしたら何百年も前から、毎時毎分繰り返されている事象でしょう。

しかし、奢られなかった貴方は、今一度この事実を分析してみるべきだ。上席からすれば、貴方に奢ることのメリットと、奢らなかった場合のメリット(もしくは損失回避)を比較衡量して、この決断に至ったはずなのだ。だからと言って悲観しろとか、敵視しろとか、そういう問題でもない。

単純に、相手は別の経済主体だ、という事実を認識するのみだ。

人は皆、異なる効用関数を持ちながら経済活動をしている。

奢らなかった上司が誕生した瞬間に、奢られなかった貴方も爆誕したのであって、奢られなかった貴方がすべきことは、奢られた世界線の貴方と今の自分とを比べて、その瞬間に発生した無限の分岐に思いを馳せ、そして、舌打ちすることだ。

 

相手の立場で考えてみよう、って相当にサイコパスな発想で怖いよね。