ゴーイングコンサーン

一人住まいを考えると、賃貸か購入か、という二択に悩む場面があります。

多くの場合、~年以上住むなら購入したほうがお得だ、という推論が導かれて、一見問題が解けたように錯覚しますが、実はもう一つ、与式には条件が必要であって、そのことに気がついて、また悩むのです。その条件文とは、寿命。

人は滅多ななことがない限り生き続けます。金融業界では継続企業の原則、なんて言葉が用いられますが、基本的に、今後も存命であることを前提に話をしてよいとされるのです。

確かに、夕飯を何にしようか考える際、「でも死ぬかもしれないし」と考えるのは杞憂に思われます。毎分毎秒をそんな覚悟で臨んでいると疲れます。

では一か月でどうでしょう。月間見放題の動画チャンネルに登録する際、「どうせ来月以降は生きているかわからないんだ」とは、恐らくならないでしょう。

では1年では? 3年では? はたまた10年では?

ある時点から、自らの生に限界があること、そしてそれは予測不可能であること、を察します。自分が買わない宝籤の期待値なら簡単に計算してしまうでしょうけれど、寿命の問題はあまりに当事者意識を感化させるもので、そこには一種の希望的観測が含まれたりして、機械的に割り切ることができない。

一つ断言できることは、以上のようなことを悩むために、有限な寿命が惜しみなく失われている、ということ。

人生は最大の暇つぶしですが、その過程に拘るのもまた人の性。