凡人百面相

明石市長、辞職否定 市長選で「有権者の判断仰ぎたい」」(神戸新聞NEXT)

ニュースの8割が誰かを弾劾、批判する内容なのに疑問を感じないのが現代のすごいところですよね。瓦版の時代からそうだったのかな。

それはさておき、市長になるような人が、裏表なく馬鹿正直にやってきたわけがないだろうというのは言い過ぎでしょうか。それは勿論、人徳が評価され、上へ上へと祀り上げられる、それこそ奇跡のような人もおみえでしょうが、普通に考えて、例え役所であろうと、一つしかない座を得るのは競争です。市長選が始まる段階にはとっくに勝敗が決まっている、もっと深く、長い戦いの勝者として、彼は暴言を吐いたことを報道される身分になったのです。

誤解を恐れず言えば、パワハラもセクハラもいじめも殺人も起こりうるに決まっています。ただ、当たり前に起こることが、当たり前に正当ではない、ということはあらゆる事象において勘違いしてはいけない重要な点。

今回の記事、音声も公開され、なんとも高圧的で脅迫的な文句が際立っていましたが、選挙の時と態度が違う、なんて驚いているのは明らかに想像力の欠如ですよね。というか、選挙の時に不快な発言ばかりして嫌われるような意味不明な人は、本件以上にTPOを弁えていない可能性があります。

人間は3次元に生きているのだから、裏表があるのは当然、そこには奥行もある。二面性しかないような人種はマンネリで淘汰されてしまいます。多くの人から評価される人は、多くの人に合わせて評価される自分を演じているのであって、支持者が多いほど、人格の操作も大きい。かもしれません。

大統領も市長もヤクザもおばあちゃんもホームレスも、みんな同じ人間です。知能指数や運動能力の個体差だって、精々数倍の範囲でしょう。地球規模で考えれば、抑々同じ種族である人間同士が、超絶に優れているなんてことはないのです。この市長を擁護する気はないですが、行政を執行するのに行儀よくルール通りやってたら、1日24時間働いても終わりませんよ。お役所文化って揶揄されますが、誰も責任もって”お役所”を改革できないのに無理な要求ばかりすると、歪が生じるのは自然の摂理ではないかな。罵声を浴びたその瞬間、担当職員さんにも違う人格が生まれたはず。