悪の報いはどこの先?

『「人間のできる仕事の範囲を越えている」当事者が語る“児童相談所”の実態』

(FNN PRIME)

 

官公庁のみならずの多くの業界が、程度の差こそあれ、人手不足にある。特に対象とする相手を考えれば、その精神的負担も察するに余りあるわけで、その点においては、感情論的には不遇だとも思う。

だが、無責任なことを言いたい。今回の例は、手続き的に間違っていないか?

忙しく、大変な仕事だからこそ、この手の業務にはマニュアルがある。マニュアル対応だと批判されることがあるが、職務規定に基づいて対応しないことの方が組織人として問題だろう。マニュアルに反して、誰が責任を取ることになるのか考えれば明白だ。

クレームなど特にそう。マニュアル、規定にない、所謂”穏便な””うまい”方法が暗黙の了解で求められている風土だが、極端な話、これは組織に対する反逆であり、ルール違反なわけで、本当に必要で合理的なら、ちゃんとクレーマーに対して便宜を図ることを明文化するべきなのだ。道義的な善悪なんて難しい問いかけをする前に、手続的に正しいことをするべきだと思うが、どうにも議論が飛躍している気がしてならない。

今回謝罪会見をした担当者は、恐らく手続き的に間違ったことをした。

保護者に脅されたら便宜を図っていい、なんて内規がないからだ。別途脅迫行為に伴う情状酌量等はあるだろうが、それは刑法・民法の話。ミクロの単位では、内規違反だ。

そして彼が負うべき責任はその一点でいい。社内で対処すれば終わりだ。それを外野が批判するなら、その矛先はタイトル通り、教育委員会になる。続いて、教育委員会への批判だが、当然に官庁として果たすべき義務を放棄したうえ、関節的には人命に損害を与えた可能性もあるので、それについて、出来得る限りの対策を立てるべき。だが、対策のために必要な財源・人材の確保ができない仕組みになっているのなら、それは監督省庁の責任になるわけで、さらに言えば、予算案等の問題。そして議会と議員の問題。

では、その議会に議員を送り出したのは誰ですか?

 

以下は純粋な感情論です。

罪人は加害者だけだ。職員の過失も環境も、そんなの言い訳にするべきではない。子供のアンケート用紙を見て逆上して殺すような人間が悪い。邪推だが、このアンケートを持ち出して上手に親と話をし、”上手く”虐待を解決した職員の美談を聞いたら、同じように批判されただろうか。結果論ではないのか?

責任の爆弾ゲーム、見ている人はその火を消そうとも思わない。

爆弾を誰かに抱えさせるのは、もう無理だ。